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医療法人 和陽会 まび記念病院
[透析施設最前線]

2019年12月19日登載/2019年12月作成

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病院外観
  • ●理事長:村上 和春 先生
  • ●院長:村松 友義 先生
  • ●開設:2010年11月
  • ●所在地:岡山県倉敷市真備町川辺2000-1

結びつきをテーマとする地域唯一の一般病院
ニーズに応えて透析室も拡張

前身の旧真備中央病院時代の2007年、それまで休止していた透析医療を3床から再開。以降、地域のニーズに応えながら徐々に拡張し、2016年までに透析ベッド37床、透析患者100名以上という規模に成長したまび記念病院。その矢先の2018年7月7日、西日本豪雨で被災し医療機能がまひ。患者は周辺地域の医療機関に分散した。必死の復旧作業により同年10月に透析医療を、翌2019年2月にはすべての病院業務を再開。いまでは同院のテーマである「結びつき」はより強固なものとなり、地域からの信頼はますます高まっている。

1. 開設の経緯 地域で唯一の一般病院を引き継ぎ
新たな病院としてスタート

村上 和春
理事長

岡山県倉敷市の真備地区では以前から、唯一の一般病院として、まび記念病院の前身となる旧真備中央病院が、急性期から亜急性期、慢性期まで、幅広い医療を担う立場にあった。救急告示病院でもあり、病床数は80床。1992年からは倉敷成人病センターが運営していた。同院は2010年11月、まび記念病院として生まれ変わるのだが、その転換に向けた改革は、村上和春理事長の赴任をきっかけにスタートした。

村上理事長は岡山大学医学部を卒業後、第三内科に入局。カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)生理学教室への留学を経て、同じ倉敷市内の玉島中央病院に17年間勤務、院長も務めた。開業を目指して玉島中央病院を退職したのが2007年。この開業準備の間に、大学の同級生である倉敷成人病センターの病院長に呼ばれて診療を手伝ったのが、真備中央病院との出会いだった。

「病院の規模の割に患者さんが少なく、看護基準も13:1でしたし、急性期病院というより、療養型の病院のような印象でした。透析医療も5年くらい前にやめてしまって、真備の透析患者さんは遠方へ通院されていました。地域医療を担う病院とは言えない状況だったと思います」と、村上理事長が赴任時を振り返る。

「この状況をなんとかしたい」と考え、一勤務医の立場でまず着手したのが、透析室の復活だった。透析看護の経験のある看護師に手伝ってもらい、倉庫を改造して透析用コンソール3台から人工透析を再開した。

病院勤務をしながら独立の準備を進めていた村上理事長は、2008年、友人の泌尿器科医とともに「むらかみ&とくながクリニック」を開業。医療機器と人員を充実させ、"高度な医療機能を併せ持ったかかりつけ医"として新たなスタートを切った。このときロゴマークとして作成した「&(あんど)」は、その後、グループ機関のすべてで使用している。「&」には、「つながり」「融合」「安堵」などの意味がこめられていると、理事長は言う。2009年には医療法人和陽会を設立。真備中央病院の透析室の仕事は非常勤で続けた。

「開業してしばらくすると、今度は外来患者さんのための入院設備がほしくなりました。そこで思い浮かんだのが、空きベッドの多かった真備中央病院の病棟でした。ここを有効活用できれば、私のクリニックの患者さんも助かるし、何より真備地区の住民の皆さんのためになる。そう思って倉敷成人病センターに話を持ちかけたところ、快く賛同してくれて、いろいろな関係者が動いてくれました。こうして真備中央病院の経営は、倉敷成人病センターから医療法人和陽会に譲渡されました。このとき、名称をまび記念病院に変更したというわけです」

2. 病院の特徴 真備地区中央に誕生した異次元空間
保健・医療・介護を一体化

新生「医療法人和陽会まび記念病院」が掲げた医療理念は、"全人的で温かな切れ目のない医療を提供し地域医療に貢献する"。「真の意味での地域の中核病院をつくりたいと思いました」と、理念にこめた思いを村上理事長が語る。

その思いに共感し、理事長のもとに多くの医師が集まった。中でも服部輝彦総院長はじめ3名は村上理事長の岡山大学医学部時代の同級生。村松友義院長は後輩にあたる。「こうした学生時代からの友人をはじめ、たくさんの仲間が協力してくれたから、今がある。感謝しています」と理事長が言う。

現在の場所への新築移転は2014年。「病院とは文化の発信地である」という信念のもと、待合室は、コンサートや各種セミナーにも対応できるホール形式にした。緑豊かな縦庭や、絵本の世界を思わせる中庭などもつくり、建築や内装、各種表示などにもアートを取り入れた。病院らしさからあえて離れ、異次元空間を演出することで、訪れる人に癒しを感じてもらえるようにしたのである。

併行して和陽会では、サービス付高齢者向け住宅、短期入所施設、通所介護施設、メディカルフィットネス施設、保育施設などを順次オープン。保健・医療・介護を一体化させるべく、関連施設も充実させていった。また、村上理事長は2016年10月より、老人保健施設やグループホームなどリハビリテーション主体の施設や、有床診療所を運営する医療法人弘友会(岡山県総社市)の理事長も兼務するようになり、より広域の医療・介護を担うようになった。

グループ医療施設の間ではカルテ情報・画像情報を共有できるシステムも整っている。また、普段、病院を利用しない人にも健康に関心を持ってもらおうと、500円で血液検査と健康相談が受けられるワンコインドック(年1回)などユニークな取り組みも実施している。ワンコインドックは北原ライフサポートクリニック(東京都八王子市)のアイデアを参考に2011年に開始したが、まび記念病院独自の工夫も加えており、たとえば検査結果はデータをわたすだけでなく、村上理事長が受診者に直接、口頭で説明する仕組みにした。このドックは好評で、住民の健康づくりに役立っている。

3. 災害時の対応 西日本豪雨で被災
透析患者102人を18施設に搬送

人工透析部部長の渡邉広美さんと村上 理事長

新築移転から4年、村上理事長の情熱に引っ張られるかたちで改革は着々と進み、まび記念病院の病床稼働率は90%台後半で安定。関連施設ともども確実に地域に根ざしつつあった。そんな矢先、真備地区を襲ったのが、西日本豪雨(2018年7月豪雨)だった。

7月6日に避難勧告が発令、7日朝には近くを流れる小田川とその支流が氾濫し、地域への浸水が始まった。同院ではその時点(7時頃)で透析も含めて外来診療をすべて中止することを決定した。やがて病院にも濁流が押し寄せ、停電し、みるみるうちに1階が水没。212名の避難してきた住民も含めて、一時期、2階以上は人でいっぱいになった。病院スタッフは入院患者の様子を見たり、ケガ人の手当てをしたりした。その日は備蓄食糧などを配布してなんとかしのぎ、翌8日から患者の移送を開始した。

「透析患者さんの治療を依頼できる施設探しは急を要しました」と村上理事長。「7日朝、病院に来ていたスタッフは、付近が通行止めになる前に出勤できた31名。このうち透析室で仕事ができたのは私と、人工透析部副主任の馬関順子看護師と、助手1名でした。この3名で手分けをして、当日、透析予定だった火・木・土グループの患者さんやご家族にまず連絡を取り、同時に岡山県透析施設災害情報ネットワークやDMATはじめ関連機関にも連絡しました。電子カルテや電子メールなどのシステムはダウンしていましたので、何かのときに必要になるかもしれないと保存してあった紙カルテを頼りに患者さんの情報を把握し、移送先を定めてスマートフォンで1件1件電話しました」と緊迫した様子を振り返る。

8日の日曜日に臨時で開けてくれた透析施設もあり、「ありがたかったです」と村上理事長は思いを込める。8日には、ほかの透析室スタッフも自衛隊のボートで出勤できたため、患者情報の整理、この時点での安否確認などはスムーズに進んだ。結果的に月・水・金グループも含めて102名いた透析患者は18の透析施設に分散することになった。

なお、同院の透析ベッドは2011年時点で9床(うち個人用1床)だったが、2014年の新築移転に際して25床(うち個人用2床)に増床、さらに2016年4月の拡張工事により37床(うち個人用2床)に増えていた。スタッフは看護師8名、臨床工学技士6名。医師は岡山大学と川崎医科大学から派遣してもらっている。透析室は2階のため直接の浸水被害はなかったが、停電と水の供給停止により透析を中止せざるをえなくなった。

病棟に9名入院していた寝たきりの透析患者は、自衛隊や東京消防庁、民間団体のヘリコプターで岡山大学病院、川崎医科大学附属病院、倉敷中央病院といった地域の基幹病院に搬送された。搬送手配は、国際協力NGO「ピースウィンズ・ジャパン」が迅速に行ってくれたという。

「私たちは急いで、患者さんのお名前、病名、ADLの状況などを手書きで紙に記して、患者さんそれぞれの胸のところに挟みました。多くは私が主治医をしていたので、病状を把握できていたのは幸いでした。このときは院長と病棟看護師と一緒に作業しました」(村上理事長)

4. 病院再開への道のり 被災から1年以上かかってほぼ平常に
変電設備と貯水槽は地上4mに設置

他院に搬送した患者については、地域連携室職員を中心に、病院スタッフが順次安否確認を行った。透析室スタッフも、移送先18施設すべてを回り、透析患者の状況を確認し、コミュニケーションを重ねた。

「まとまった数の患者さんを受け入れていただいた施設には、"まび記念病院コーナー"ができました。そこに当院のスタッフが通勤して、以前とほぼ同じ環境でケアをさせていただけたのは、大きな意味がありました。お互いによく知った仲だから、安心して透析医療を継続できた、本当に感謝の気持ちでいっぱいです」と村上理事長。

まび記念病院の透析医療は2018年9月、受電設備の稼働により30名から再開した。同12月には電源が完全復旧し、入院透析も可能になった。すべての病院業務が再開された2019年2月時点の透析患者数は約70名。その後も1人、また1人と戻ってきて、現在までに亡くなった患者を除いたほとんどの患者が、被災前と同様にまび記念病院で透析を受けている。「これも、スタッフと患者さんの関係が途切れることなく続いたからだと思います」と理事長は言う。

新しく設置した変電設備と非常電源は、地上4mの高さに組んだ台の上にある。貯水槽も同様だ。同院では最終的に3m30cmの高さまで浸水したため、それを超える高さを設定したのである。現在、同院のエントランスホールの柱には浸水の記録として、3m30cmの高さにくっきりとした線が記されている。

5. 今後の課題・展望 CKDをツールに地域づくりを推進
倉敷全体でのBCP作成へ

まび記念病院では西日本豪雨での被災と復旧作業を経て、現在、BCP(Business Continuity Plan:事業継続計画)を作成中である。村上理事長によれば、BCP作成のポイントは、まび記念病院単独ではなく、地域のネットワークとしてのプランにすること。

「今回の想像を絶する浸水被害を乗り越えることができたのも、他の医療機関や施設の協力があったからこそです。当院の経験をふまえて、倉敷市連合医師会と一緒に会議を重ねているところです。当院では服部総院長が中心メンバーになっています」と村上理事長が紹介する。

医療内容としては、近年はCKD対策に力を入れている。2019年4月には新たに腎臓内科外来を開設。日本腎臓学会理事長の柏原直樹教授率いる川崎医科大学腎臓・高血圧内科から週に1回、腎臓内科医を派遣してもらい、慢性腎臓病のステージ3程度からCKD患者に介入し、進行予防を目指していきたい考えだ。

「腎臓内科では、単に来院された患者さんの治療をするだけでなく、他院からの紹介患者さんも積極的に受け入れていきます。患者さん個々ではなく、真備とその周辺地域にいる人々全体を面としてとらえて対応していきたい。地域が一体となって健康づくりを目指していく。CKD対策は、その有用なツールになり得ると思います」

「災害を乗り越えたいまこそ、地域がまとまるチャンス。あれだけ甚大な被害を受けた真備が、こんなにすばらしい地域になったと言われるように頑張りたい」と村上理事長。今後は住民向け、介護関係者向けの勉強会など、地域の人々と交流する機会をこれまで以上に増やし、医療に関する知識を共有しながら、ともに歩んでいきたいと考えている。

ゆくゆくは地域医療をコーディネートする多職種チームを、地域全体で共有する資源として設置することも考えている。医療・介護を核とした地域の再編が、まび記念病院を中心に進んでいる。

KK-19-11-27426

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