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てんかんアラカルトvol.20 ドストエフスキーの妻の発作日誌 [てんかん診療Q&A]

vol.20 ドストエフスキーの妻の発作日誌

写真 ドストエフスキーの二人目の妻アンナ

フョードル・ドストエフスキー(1821-1881)は45歳のときに口述筆記のために訪れたアンナ(写真)と知り合い、翌年に二度目の結婚をした。妻アンナは結婚後にはじめて夫の発作を目撃した。「親戚へのあいさつ回りが10日間つづいた最後の日、夫は姉の家で2度の発作を起こした。てんかんの発作をみるのは生まれてはじめてだった。わたしはフョードルの肩を抱き抱え、力を込めて長椅子にかけさせた。だが無感覚になった夫の体が長椅子からずりおち、わたしの力ではどうしようもなかった。ようやくのことでフョードルを床におろし、自分もすわりこんで、けいれんの続くあいだ自分の膝の上に頭をのせていた。その後、発作にはつきものの虚脱感と圧迫感が1週間以上もつづいた。夫は"この世で一番親しい人をなくしたような、だれかの葬式をしたような気分だ"と述べた」。

二人は債権者たちからのがれるために欧州へ旅立った。妻アンナはその間の詳しい発作日誌をつけている。「発作はたいてい睡眠中だが、それでも人間のものとも思われぬ悲鳴は心の底からゆさぶられる」、「こうした発作に彼がみまわれるとき、私は彼が気の毒でならない」、「ああ!彼が全治できるものなら、私はすべてを投げ出しても惜しくない」と書いている。以下は4月から12月の発作発来時刻であるが、ドストエフスキーは夜中まで仕事をする習慣があったので、いずれも入眠直後の発作かもしれない。

vol.20 ドストエフスキーの妻の発作日誌

妻アンナは、「私がてんかんの件で医者に問い合わせを出していることを知ったら、フェージャ(ドストエフスキーの愛称)が腹を立てるであろうことはわかっていた」と書いている。ドストエフスキーは当時のてんかん治療薬であるブロム剤は使っていなかったようである。

5年間の欧州旅行から帰ってきてからのドストエフスキーの生活は規則正しかった。深夜まで仕事をして、朝方に寝て、昼ころ起きて体操し、化粧室で念入りに体を洗い、祈祷した。午後には濃いお茶をのみ、前夜に綴った文章を妻アンナに口述筆記させた。夕方には散歩に出て同じ道を歩いた。夜には子どもたちと一緒にお祈りをし、煙草とお茶と蝋燭の明かりで仕事をした。筆跡も几帳面で美しかった。60歳の時、肺動脈破裂と思われる喀血が続いて3日後に死去した。長年にわたって苦しんだ持病のてんかんは死因に影響せず、やすらかな死であったという1)

【参考文献】

  • 松浦雅人:てんかんからみる人物の横顔ー異論異説のてんかん史(10)ドストエフスキー.Epilepsy 5: 151-156, 2011.

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